Ⅱ 疑惑への疑惑 6-1

国定徹の第1回の公判が迫っていた。

何か見過ごしているような、何か見落としているような、そんな言い知れぬ不安の澱が山中の心に重く沈んでいた。

山中が仕事を終え、家に帰ると、居間のテーブルで、長女の亜沙子と次女の加代が勉強をしているところだった。

二人とも来年にはそれぞれ受験を控えていた。

長女の亜沙子は看護学校を目指し、次女の加代は地元の普通高校への進学を希望している。

それほど余裕はないが亜沙子も大学へ行きたいのであればそうしたらよい、と山中が言ったものの、亜沙子は、自分は看護師になりたいと以前から思っていたのだ、とはっきり山中に言った。

病弱な母親の下で育ち、その母親を5年前に亡くしてからは、しっかりと自分の進む道が決まったようだ。

山中は自分で夕食の膳を用意し、娘たちの勉強を見てやりながらビールを口に運んで唇を湿らせた。

「もぉ~、わかんない。なんでなのぉ!」

奔放な性格の加代が叫ぶように言った。

「どうした、どうした」と山中は加代のノートを覗き込んだ。

「もぉ~ね、このaとかtheとかっていったいなんなのよ」

「え?どれどれ・・・」

山中がそう言いながら加代に教えようとノートを見たのだが、何分もう昔のことだから自分でもうまいこと説明できなかった。

「定冠詞と不定冠詞だな、これはな・・・どれでもいいのがaで特定のものがtheだな」

「そんなこと言われても余計分かんないしぃ」

「そうかぁ・・・」

父が困惑していると、隣でそれを聞いていた亜沙子が言った。

「まあ、つまりは、リンゴが食べたいっていうのはどのリンゴでもいいわけだから、I want to eat an apple.で、例えば青森のあのおじさんが作ったあのリンゴが食べたい、ってなるとI want to eat the apple.ってなるのよ、わかった?」

「・・・ん~、わかったような、わからないような・・・っていうか、あーちゃんの説明、アンとかジになってるから余計混乱するし…」

加代は机にくずおれながら、首を左右に振った。

「まあまあ、そんなものだと思っていればいいのよ。ちょっと加代ちゃんには難しいかもしれないけど、高校ではね、こんなのもあるのよ。日本語だと『真実をいう』も『ウソをつく』も文法上は変わらないけど、英語になるとおもしろいのよ」

「へぇ~なんだい?」

山中も感心しながら、亜沙子の説明に耳を傾けた。

「真実をいうは、tell the truthでウソをつくはtell a lieなの。

真実は一つだけだから不定冠詞のtheで、ウソは無数にあるうちの一つだからaなのよ」

ふ~ん、なるほどね~と思いながら山中はビールをひとくち口にした。

真実はただ一つで、ウソは無数の中の一つか・・・山中秀行は、心の中で一人繰り返した。

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